縁起 ~西蓮寺の歴史~

□西蓮寺略記

 豊臣秀吉の九州征伐という野望を託された黒田官兵衛。西蓮寺初代了空は姫路の本徳寺から官兵衛と共に九州の行橋(仲津)へ。秀吉の念願も叶い、天正15年(1587年)に官兵衛が豊前国(大分県)中津で西蓮寺を建立。その後中津藩主となった細川忠興が、城下町を移し、小倉城周辺近くの鳥町(現魚町)に土地と築城の際の余材で寺を中津より小倉へ西蓮寺を移転しました。その後400余年、小倉で存続しています。

■西蓮寺歴代略記の詳細はこちらをご覧ください。

□宝法物等

本尊阿弥陀如来立像

一、 本尊阿弥陀如来立像 (二尺八寸) 年代不詳
一、 親鸞聖人御影 (一尺八寸 鯨尺) 年代不詳
(証如上人《一五一六年~一五五四年》御花押)

蓮如上人御影

一、 蓮如上人御影
      嘉永元年(一八四八年)八月六日 許可
(願主 釋吟泰 廣如上人花押)

上宮聖徳太子御影

一、 上宮聖徳太子御影
      慶長七年(一六〇二年)七月五日 許可
(願主 釋顕妙 教如上人《東本願寺》御花押)

七高僧御影

一、 七高僧御影 慶長七年(一六〇二年)七月五日 許可
(願主 釋顕妙 教如上人《東本願寺》御花押)
一、 開基佛方便報身尊影 一尺一寸五分) 年代不詳
(源信僧都の筆と伝ふ)(証如上人代)
一、 蓮如上人御染筆六字尊号一幅 (一尺五寸九分)
(明治二十三年四月十七日三ノ内蒐覧會出 第三百十七号)
一、 四幅御絵伝 寛永十一年(一六三四年)十一月六日 許可
一、 紺紙金泥十字尊号 (見真大師御染筆 三ノ内第三百十六号)
(蒐覧會委員 水野慈音 点検第二十号 明治二十三年五月八日)
一、 方便報身尊像 (証如上人《一五一六年~一五五四年》代 一尺五分)
一、 三帖和讃 (実如上人《一四五八年~一五二五年》御染筆)
一、 聖徳太子御自作本佛 大和の西より移す
一、 本門 安政二年(一八五五年)四月上旬恒宮庄助寄附
一、 釣鐘 明治三年(一八七〇年)九月延命寺より買入

 豊令近聴声愈好掃除煩悩眠 舜耶示現面猶得透徹活気禅
 遊戯於功徳林則鳥氏識兼 依温槃岸去雷鳴更欲然
 右西海之九列路豊前国規矩郡小倉津浄土真宗常住敬
 慶長十二丁未 眞暦初夏十有八日奉寄進半鐘 施主大小檀那
 錬鋳師匠豊後列大分郡駄原 藤原朝臣安部次左エ門尉

一、 山額「榮法山」 平成十三年十月再掲
   (自見白鳳筆 松本俊雄彫 オーク材 永岩哲哉寄贈

以前伝来により足利義満の真蹟を彫刻した山額があった